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内部告発は合理的か否か

内部告発は、日本ではあまり良い意味に捉えられません。どちらかというと組織の和を乱す好意であり、告発したことで多大なる損失を与えるものだという理解です。

結論から申せば、短期的には正しいのですが、中長期的には正しいとは言い切れないでしょう。組織としての膿がたまってしまい。どこかで発覚したときには、大損害となります。人間ミスをするのも当たり前ですし、人が見ていないところではアンフェアなこと、もう一つ踏み込むと不正をやっているなんてことも珍しいわけではありません。仕方ないじゃないか、人間だもの。

多くの企業の隠蔽工作によって、様々な不正が隠され、それが世に明らかになって、ある会社が大損害を上げても、どうも対岸の火事だとしか理解していないようにしか思えません。バレた方がバカなんだ、ああ運が悪いこと、といって自分たちの悪事はひっそりと黙っています。

こういう中でも超良識派が、我慢ならぬ、といって勇気を持って立ち上げることは、本来称賛されるべき行為です。短期的にはみんなが大変になりますが、中長期的には、内部告発によって組織や企業、あるいは社会の公正が保たれます。自動車のリコール問題、病院内の医療ミス等はできる限り隠そうとするため、ほとんどが表に出ずに、出てくるのは内部告発があったときだけ、という悲しい状態になっています。

医療では患者の命を守ることが最上なはずなのですが、実際は医者をはじめとした内部者の自己保身の方が大事になっている側面もあります。自動車も同じことです。動く凶器のようなものですから、故障や不具合があれば、それがすぐに正されるべきです。日本では損害賠償額がそれほど大したものにはなりませんが、アメリカで同じようなことが起きれば、それこそ、懲罰的損害賠償の責任が生じ、会社が転覆しかねないほどの大損害を受ける時があります。こういうペナルティが用意されていれば、内部告発が進み、小さな芽のうちに摘むことができる環境が整うのかもしれません。

また、アメリカには、司法取引制度による「免責」という考え方があります。つまり当事者が罪を告白すれば刑事的責任が軽減されるというものです。人の責任を追及することで、人を攻め立てれば、それが国益に反する、と思えば、必要以上に責めを受けないようにする仕組みと言えましょう。告発は善であり、小さな失敗を許すことで大きな失敗を防ぐという組織的考え方が、必要な時代になってきていると言えましょう。

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